活動の記録

12月19日 学集会報告

みんなの会12・19学習会
『教育委員会 どうあるべき? 誰のためのもの?』 文責 岡田良子

 全国一斉学力テストに不参加してきた犬山市前教育委員の中島哲彦氏(名古屋大教授)と、明治大教授三上昭彦氏から話を聞きました。

*中島氏の話
犬山市は人口75000人の城下町で市域には過疎山村、工業地、大型遊園地、明治村など観光地もある。教育委員会制度は地方自治のしくみとして大事なのに、市教委会は上意下達ばかりで職務権限が活かされてこなかった。学力低下が言われ始めた2001年から犬山市では、現行法制下でも改革に使えるものを活かし、学校設置管理者としての主体性を回復。子どもたちの間に学びあう関係をつくれる学校改革への取組を始めた。
まず@ 市教委に主体性が無く首長・学閥が学校人事を決めてきたのを改め、市教委会が改革に前向きな教育研究者を校長候補に推薦。しかし県教委に拒否されて失敗。
そこで次策A @の校長候補者を指導主幹として市費で任用、子どもたちとの学びあう環境つくりから始めた。
B 先生同士が学びあう関係を作るために、全教員参加で副教材を作成。保護者意見も聴く。当初は保護者も教員も消極的だったが数年後には数百の意見が寄せられるようになり、教育内容に保護者が関心をもつ環境ができた。
C 習熟度別授業は採用せず、少人数授業で子ども同士の学びあいを大切にした。授業作りのため教員講師ともに週一時間の研修時間を勤務として認めた。(県教委や校長会の抵抗には時間をかけて説得し、習熟度別を採用させなかった)
D 県教委主導だった教科書採択を、市教委が実質的に関与できるように求めた。
E 市教委と保護者住民・教員の対話の場として毎夏、教育シンポジウムを開催、市の教育行政・政策について公開討論をしてきた。しかし、2006年「学力テスト参加を公約」の田中市長に代わってしまい、現市長はシンポジウム実施の予算執行を停止してしまった。

  2006年から実施の全国一斉学力調査は、テスト結果を基準に「教育のあり方」にまで国家が立ち入り、地方・学校が国に管理されることになってしまう。また「国家公認の学力ランク付け」となって地方間、学校間、個人間の評価比較が競争関係を際立たせ、学力獲得競争を煽り、子どもたちの主体的な学び合いや、各学校の自主自立的運営を阻害する。

例えば、2/3+1/4 と 2/3×1/4 の計算の正解率は掛け算の方が高い。しかし分数掛け算の本当の意味を理解するのは足し算よりずっと難しい。正解率の高さだけで、学力が評価できたことにはならない。
  犬山市が2001年来めざしてきた教育は、「学び合いによって、自ら学び考える力を養う“学びの学校”づくり」である。ほんとうの理解力を養うのが先で、“ランク付けのための学力テストに時間を割くことは出来ない”として2006年初回以来の学力テストに不参加を決めてきた。
  しかし市長が変わり、新市長により任命される教育委員が少しずつ賛成派に入れ替えられ、2009年3月にはついに学力テスト参加が決定されてしまった。

*三上氏の話
民主党マニュフェストに「教育委員会廃止」がある。戦前の教育国家管理の反省から、学問の自由、教育を受ける権利、行政からの独立・地方分権・自主性確保をめざして'48年に公選制教育委員会制度ができ'52年には全国で実施。公選制で住民に推された教委は住民を中心に据えて教育を考えられた。しかし僅か4年後には('55憲法改変を柱とする自民党発足)地方教育行政法制定により公選制が強引に廃止され教育の自主性自律性が大きくそがれ始めた。ただし「教委会廃止」までは自民党も文科省も言い出せないできたのに・・。民主党マニュフェストでは「教委会を廃止してその実務は首長に移管、代わりに学校理事会と教育監査委員会を設置して適正化」とあるが、教育行政への首長の権限強化になりはしないか。「教育は国民のものであり、教育が不当な支配に服することなく、公正な民意と地方の実状に即した自立教育達成を目的として教育委員会制度を設けた」という原点に立ち返るべきである。

質疑応答
Q.  習熟度別授業に賛成する教員も多かったのでは?
A.中島氏  犬山市でも始めは習熟度別に賛成する意見が多くて驚いた。しかし少人数での学び合い学習が始まってからは先生方の理解が得られた。
Q. 教育の地方自治というが、杉並では学校支援本部を全校につくらせようとしているが、住民は無料奉仕に過ぎず住民の意見など入らない。
A. 三上氏  教育の中央集権、教委会の上意下達的現状への批判に対し一定の改正はされた。国も地方分権のための教委会のあり方を議論してはいるが、一部“改革派”首長、例えば今の都行政は地方自治の先取りを口実に教育に強権介入している。住民参画の学校経営というが、すでに全国10%に設置されている学校評議員制度の人事に住民は関与できず校長が評議員を推薦、教委会が任命。任命のされ方もオープンでない。地方自治は住民本位には機能していない。
Q.  三浦朱門は「できん者はできんままで結構、教育予算は1%のエリートを育てるために使うべき」というような発言をしたと思いますが? 民主党はフィンランドの教育に学ぼうとしているか?
A.中島氏  エリート育成主張は20数年前の臨教審からある。一律公平の公教育は無駄、公教育を自由化、学校は皆私立でいい、能力・適性・進路に応じた習熟度別・格差教育で効率よく人材育成するのが望ましいという考えがこれまでの行政にある。
A.三上氏  民主党の学校理事会制度は英国モデルだが、英国では父母代表理事を選挙で決めるのに対して日本は首長が任命、ドイツやフランスでは生徒代表も理事会メンバーになるが民主党には「子どもの参加」という発想はない。フィンランドの教員養成は6年制だが、日本では教員養成6年制の受け皿(大学)がない。北欧の学校法では「順位をつけるテストはやらない」と決められている。日本では能力主義が親にも教師にも染み付いている。
  とにかく民主党マニフェストは「全ての人に最善の教育を」と「格差の是正」を言っているから、これをうまく使わせれば希望はある。教育問題は子どもの権利として考えられるべき。
  教育無償の考え方だが、戦前は教育が“国民の義務”だから無償だったが、戦後は教育を受けるのが“子どの権利”だから無償なのである。『橋のない川』の住井スエは「“義務教育”でなく“権利教育”と言うべき」と言っている、大事な指摘だろう。