活動の記録

8月10日 山田区長の「広報すぎなみ」での発言について再度要請

山田区長の「広報すぎなみ」での発言:「杉並区とインド」

教育委員会宛の要請書
杉並区教育委員長丸田頼一殿
杉並区教育委員各位
 
本日発行の『広報すぎなみ』の「区長からのいいメール」で、山田宏区長は、日本に依存してインド独立を達成しようとしたチャンドラ・ボースをインド独立の英雄として高く評価しました。また、東京裁判で日本戦争犯罪者の無罪を主張したインド出身判事ラーダ・ヴィノード・パールを高く評価しました。こうした歴史評価は一方的なものであり、定説とは言いがたいものであります。詳しくは別紙の区長宛て書簡に述べてあります。

さらに問題なのは、こうした見解が「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書に特徴的に出てくることであります。教科書採択を目前に控えたこの時期に、中立たるべき区長が特定の教科書の内容に依拠するような発言をすることは、大変にゆゆしき行為であると言わざるをえません。

私は「杉並区に居住する歴史学者の会」を代表して、区長のこの逸脱した行為に抗議するとともに、教育委員各位がこの区長の発言に左右されることなく、良識ある判断によって適正な教科書を採択されることを強く望みます。
 
2005年8月1日
杉並区に居住する歴史学者の会代表  中村平治

山田区長への公開質問状
杉並区長・山田 宏殿
 
杉並区広報(平成17年8月1日、1727号)に掲載された貴殿の文章「杉並区とインド」に関連して、インド近現代史の研究・教育に従事してきた者の一人として幾つかの疑問を呈します。一両日中に書面でご回答下さい。

質問1  貴殿は文中でインドの政治指導者としてガンディー、ネルーとチャンドラ・ボースに言及していて、そのなかでチャンドラ・ボースがインド独立運動の主役であって、インドを代表しているかのような捉え方が示されている。しかし独立運動の主役を果たしたのはガンディーやネルーに代表されるインド国民会議派であって、ボースではない。彼はあくまで脇役―それも短期に終わる―を果たしたにすぎない。しかも第二次世界大戦中の1941年から45年まで彼はインドという現場を離脱して、ドイツと日本の軍国主義を頼りにして活動してきた。したがってこの脇役と主役のすり替え論は興味本位にインドを語る場合には許されても、歴史的な評価に堪えるものではない 。

私たちの理解ではインドではインド大反乱を起点にして、インド国民会議派の反英独立運動や第一次世界大戦後のガンディーやネルーが指導した大衆的な反英・反帝国主義運動があり、連綿として継続された自律的な大衆運動を背景にして第二次大戦後の1947年に独立は達成されたものです。

以上の疑問に関して貴殿にご回答を求めます。

質問2  貴殿は文中で自由インド仮政府とインド国民軍に言及している。国民軍は日本軍に投降した英軍指揮下のインド人将校と兵士とからなり、すでに1941年に発足していた。戦時ドイツから日本に逃れたボースは43年にその最高司令官に就任した。ここで日本軍部はインド独立を希求するインド人将兵の願望を逆用することになった。43年から翌年にかけ、かのインパール作戦で国民軍は日本軍と行動を共にするが、それはやがて日本軍の敗北と共に再び英軍に投降する悲惨な結末を迎えた。



確かに43年に仮政府は日本の支持で発足したが、その法的な権限は制限されたままであった。日本軍政のもとで、民族自決権が保証されたのでは決してなかった。仮政府主席として大東亜会議に出席したボースは演説は行なったが、そこで採択された共同宣言には署名していない。宣言にはアジア諸国の独立と繁栄に関する美辞麗句が並んでいるが、アジア諸民族に対する民族自決権の保証はなされなかった。英文では参加各国の主権と独立の尊重が謳われているのに、正文の日本語文では自主独立の尊重という軽い文言にすり替えられ、日本政府内部の不統一を暴露していた。

以上の諸問題について貴殿にご回答を求めます。

質問3 貴殿は文中で第二次世界大戦後の国際軍事裁判判決における、インド出身判事ラーダー・ヴィノード・パールの日本戦争犯罪者への無罪判決を高く評価している。確かにパール判事による、日本無罪判決は日本の一部では大きく話題とされてきた。しかし独立インドでは初代首相ネルーの発言に見られるように、また日本では歴史家の家永三郎の研究が示しているように、パール判事の無罪論に対しては否定的な評価がなされている。

まずネルーはかの判決(1948/11/12)の直後(11/29)にインド西ベンガル州知事宛の電文で「パール判決では、その多くについて我々が同意しない的外れの大雑把な陳述がなされた。インド政府が同判決を吹き込んだとする疑惑に鑑みて、我々は関係する各国政府に対して、非公式に我々がなんらの責任を持たないことを通達せねばならなかった」と述べ、続いてネルーは別書簡でパールがインド政府の代表としてではなく、著名な判事として個人の能力で裁判に参加したという点を強調していた。家永の場合、パール判決には日本や中国についての多くの誤解や悪意が満ちあふれていると指摘し、そこに強烈な反共意識が貫かれていると批判した。

こうした政治状況や研究状況がともに示す様に、貴殿がパール判事無罪論を持ち出すことは的外れであり、この点に関する貴殿のご回答を求めます。

[付記]本公開質問状を書いた中村は、本年7月6日付けで杉並区教育委員長宛に「教科書採択に関する要請書」を提出した歴史家集団の代表であります。
 
発信者:中村平治(杉並区に居住する歴史学者の会代表・東京外国語大学名誉教授)
現住所:<削除>
発信日:2005年8月1日

   
おまけ! 中村平治さんのお話の中から
★山田区長の文章をインド人が読んだら、「インド人もびっくり!」ですよ。インド人は誰もこんなこと、知りません。
★「インド国内の諸事情で、いまだにご遺灰のインド帰還が実現できていないことはとても残念なことです」と、山田区長は書いていますが、あたりまえですよ。インドではガンジス川に遺灰を流す。インドには墓はないんですから!
参加していた区民は大爆笑! 中村先生はポーカーフェイス。そしてお相手の区の職員も厚い厚い殻に閉じこもっているかのように身を硬くしたままでした。

杉並区からの返答、それに対する要請

平成17年8月5日
中村平治様
杉並区区長室区政相談課 ****
 
 日頃から区政にご理解ご協力を賜りまして、誠にありがとうございます。  また、この度は、広報すぎなみ「区長からのいいメール」(平成17年8月1日1727号)に、ご質問をお寄せいただきありがとうございました。
お寄せいただいたご質問は、区長が拝読させていただきました。
  中村様のご質問にお答えします。
  この「いいメール」は、杉並区とインドとの関わりを、区内の蓮光寺にご遺灰が安置されているチャンドラ・ボースを通して述べたものです。内容は、事実に基づいて書いたもので、「いいメール」についての中村様のご意見は、中村様のお考えとして受け止めさせていただきます。
  これからも区政に対して、ご意見、ご要望をお寄せいただきますよう、よろしくお願いいたします。
 
担当課:区政相談課 担当:** 電話3312−2111 内線3214

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