資料室

戦争体験の証言集

国民学校時代のこと
 
(荻窪在住M.Mさん・1932年生まれ・73歳)
  杉並に住んでおります。戦争を経験しました。国民学校時代の話を中心にします。いかに戦争中はひどいかという、そういうお話を致します。

「つくる会」の教科書には、明治天皇時代から終戦まで使われておりました「教育勅語」、その時代がとてもよかったと書いてあるんです。

「教育勅語」については昭和一桁生まれやそれ以上の人は、非常に苦しい経験をしています。「教育勅語」の最初には、「朕思うにわがこうとう・・・」というお経のような天皇の言葉が出ております。小学校、国民学校に入りますと、暗唱させられました。学校、クラスによっては立たされたり、残されたりしました。マインドコントロールのために子どもたちに「教育勅語」を徹底的に教え込み、先生方にも「教育勅語」の精神で教育しろというそういうおしつけがありました。「教育勅語」からはずれますと大変なことになったんです。「教育勅語」には、天皇の御心のためには常に忠義を尽くしなさいと書いてあったんです。それを私たちは本当に身をもって体験いたしました。

子どもの心を踏みにじるような体験をいたしました。私はその頃埼玉県の寄居国民小学校におりました。この辺が空襲の激しくなった頃、私たちは祖母の家のある埼玉県で過ごしておりました。たまたまその国民学校は陸軍中尉が校長でした。ですから子どもたちに直接軍国教育を軍隊方式で行いました。

その軍隊方式の一端は、小学校男女一緒に「ブルマー」と言いましたが、短パンで、はだかではだしで夏も冬もなく10qマラソンをさせました。小学校4、5年生は恥ずかしくて恥ずかしくてはだかになるのは大変でした。それでも、昔の子どもは校長先生に言われるままに、はだしではだかで町の人が見ている中を行軍させられました。行軍ですね。軍隊と同じです。で、競争です。マラソンです。特に寒い時は大変でした。寄居町というところは、秩父の山から相当冷たい風が吹いてきます。秩父おろしと申しました。凍りつくような寒さの中でもはだしではだかで、今は寒稽古とか言って部活でやることもありますけど、毎日です。

そして駆け足で帰ってくると、そこにまた大変な地獄が待っておりました。町の有力者がタワシを寄付していたんです。全校いっせいにタワシまさつです。戦場の兵隊さんを思えば痛くない。いっせいにタワシまさつ、保育園などで乾布まさつをして皮膚を鍛えて風邪を引かないようにするという話はありますけれども、タワシで体中をこするんです。特に私などは肌が弱かったので、血がにじんできておりましたら、それがほめられるんですね。血を流すほどタワシまさつをして、強い子ども、ゆくゆくは兵隊になる子ども、お国のために尽くす子どもを育てる国民学校でした。身も心もほんとにマインドコントロールです。

日本は天皇陛下の御心に従って今、戦争しているのですから、絶対負けることはありません。もし敵兵が来ても先生の言うとおりにしなさい、絶対に泣いてはいけません。それから、戦場の兵隊さんに慰問の手紙を出す時には、風邪を引いたり、おじいちゃんやおばあちゃんが具合が悪くなったりしているおうちでも、うち中みんな元気でと、もう堂々とうそを書く、それを教わってしまいました。ですから、国民学校では本当のことは言えない、はだかになって男女一緒に町の中を駆けるようなことがあっても恥ずかしいなどと言ってはいけない。とにかくいけないづくしでした。そしていざとなると天皇の御心にと言う言葉が出てきた。

たまたま私のいた国民学校は、そういう軍国主義の校長さんが先頭に立っていたので、厳しかったのかなあと思って、後で他の学校の様子を聞きましたら、他の学校もよく似ている状況でした。昔は自分の気持は絶対に表してはいけません。先生の言うとおり、天皇の言うとおりにしなさいと、それが国民学校でした。

教科書はどうだったかと申しますと、修身、国語の教科書でまず最初に勉強したことは「天皇陛下万歳」という、そういう文字でした。これは私が後になって知ったことですが、私がいた場所は埼玉県でしたから、天皇が直接学校に来るようなことはありませんでした。

友だちが東京の高等師範(今の御茶ノ水女子大学)の付属に入っていました。国立の付属の子どもは、天皇がどこかに出かけたりお帰りになった時に、駅に出て日の丸の旗を振って「天皇さまおかえりなさい」という儀式を致しますが、その儀式の時に絶対に天皇のお顔を見てはいけません、天皇は神ですから目がつぶれてしまいますよと言われました。が、その私の友人は本当に天皇は神様かどうか試したくなりまして、駅の前で天皇が降りて車に乗って皇居に向かったその合間に、担任の先生の目を盗んでチラッと天皇を見てしまった。うちへ帰って目がつぶれるかなあと思ったらつぶれなかったというそんな話があります。

そんな風に子どもは大人がうそをついていると少しわかっても、それを絶対に口には出せないのが私の経験した国民学校でした。この国民学校の時代は本当にひどい時代でした。

「つくる会」教科書の225ページには昭和天皇を称えるページがあります。天皇は国民のために第二次世界大戦の時も大東亜戦争の時も一生懸命国民のために指導してくださいましたということが書いてあります。

戦争中の教育は、とにかく天皇のことを毎日口に出して唱えなければならないというマインドコントロールでした。

そこで今、思い出した言葉があります。食事の前に必ず、大きな声で言いなさいと言われていた国民学校の給食の前に言っていた言葉です。「あめつちみよの恩恵み」「あめつち」というのは自然のことですね、天皇の御世にお恵みをいただいて私たちは生きている。「君と親との御恩味わう」天皇と親の御恩を味わって、「兵隊さんありがとうございます。いただきます」。これをきちっと言わないと食事は食べられませんでした。食事も日の丸弁当、弁当を持って来られない子どもは外で、窓辺で座っておりました。

とにかく兵隊さんのことと天皇のことを、やさしい言葉で毎日毎日繰り返し繰り返し言わされる。そうやってマインドコントロールされた子どもたちが、大人になって天皇陛下万歳と言って死ねる子どもになる。

だから子どもは平和でなければいけません。大人が起こす戦争の最大の犠牲者は、兵士でなくやはり子どもです。戦争はどのような理由をかぶせようと、どのような言葉でくるもうと人間を殺す行為です。戦争は人間を殺す、命をつぶして得られるものは本当に何もありません。

今のイラクのことも、防衛庁関係の方は今日の懇談会でもイラクは戦場ではありませんとはっきりおっしゃっていますが、どう考えても戦場に近い、あるいは戦場と思われるようなイラクの情勢です。結局どこかで人は殺されています。ですが、子どもは大人を信じて生きています。武力でなく平和を作る、その知恵をはたらかせることが大人の責務です。