資料室<2005年「つくる会」歴史教科書採択に対する抗議文・ 要請文>

杉並区教育委員会 御中

杉並区教育委員会 御中

御区内のすべての中学生たちに「お仕着せる」ただ1冊の教科書として、特定政治勢力のイデオロギーを「教科書風にまとめたマニュアル」と言っても過言でないような扶桑社版の「歴史」教科書の採択を決めたことに、万感の思いを込めて強く強く抗議します。

来年中学生になる子をもつ親が、「わが子にあの教科書を持たせたくない……!」と、うめくように話していました。親の教育権の侵害にもなる決定です。区民(市民)の声に今後、改めて耳を傾け、再考されるよう要望します。  

特に、納富教育長は、行政マンだそうですが、行政が誰に対して責任を負っているのか、一般行政と教育行政にはどのような違いがあるのか、をよく考え、自らの判断を自省し、、まるで上司の指示に盲従するがごとき判断に至ったことに《恥》を感じていただきたい。

教育行政は、一般行政の長の下部機関ではありません。あなたは、教育(行政)の自律と独立性を(特定の政治家たちに)売り渡し、市民文化・運動をリードし てきた杉並区民の誇りと歴史に泥を塗ったことになると思います。市民文化・運動の「奨励」も教育委員会の重要な仕事です。教育に関する見識も良心も感じら れない、委員会でのあなたの発言に、深い憤りを感じます。教育の、教育行政のあり方や課題などについて、きちんと学んでおらず、「教育」の行政の要(事務 局長)としての職責も(おそらく区長に対するものとしてしか)自覚しておられないと、受け止めざるを得ませんでした。まさに、辞職に値すると考えます。

委員会の論議を聞いて、安本委員の(丸田委員長も)発言は、子どもたちの学習のあり方、学校教育の状況などに目配りしつつ、学校現場で「使う」教材の選定 をすることの子ども・保護者・教職員への責任を踏まえていると、感じることのできる内容でした。それに対して、宮坂、大蔵両委員の発言は、自らの(かなり 薄っぺらいと感じさせられる)自説・自論・自己流の見解の陳述が中心で、自己の政治的主張に合った教科書をもっぱら学校現場で「使わせる」ためのものとし か聞こえませんでした。

それに輪をかけたのが教育長の発言で、教育の条件整備を担う教育行政の事務局の長としては、あまりにも不勉強かつ無自覚であったと、言わざるを得ないと思 います。委員長は、決定の前に、いくつかの言い訳的な発言をされました。扶桑社版「歴史」教科)書の採択の取り消し、採択のし直しが本来は先決だと考えま すが、あの発言は、採択の決定に至る「条件」提示と聞こえました。少なくとも、現行制度の制約の中ででもできることは、子どもたちの学習権・知る権利(ア クセス権)の保障のためにも、「条件」の実現の努力を要請します。  

特に、教委が区内の全中学生たちに1冊の教科書(それも特異な内容の)をお仕着せることになる矛盾を踏まえ、

▽すべての教室で他社版の歴史教科書を生徒たちが授業中に手にできるよう(せめて、委員会で議論された帝国・大書・東書だけでも)、何冊かずつ揃えること、
▽適当な(扶桑社版教科書とのバランスを取れるような)副読本・副教材を学校が選択して導入できるよう、予算措置をすることに、直ちに着手していただきたいと存じます。

2005・8・14
相模原市・長谷川孝<教育評論家>