資料室<2005年「つくる会」歴史教科書採択に対する抗議文・ 要請文>

「つくる会」歴史教科書(扶桑社版)の採択に抗議し、撤回・やり直しを要求します。

2005年8月17日
杉並区教育委員会 丸田教育委員長様
     同    納富  教育長様
     同    各  教育委員様
「つくる会」歴史教科書(扶桑社版)の採択に抗議し、撤回・やり直しを要求します。
生かそう教育基本法!練馬連絡会議

私たちは、「生かそう教育基本法!練馬連絡会議」という、教職員組合や市民団体、労働組合、個人でつくる団体です。

この間、私たちは、練馬区での教科書採択にあたって、憲法・教育基本法をしっかりふまえて採択するように、またとりわけ社会科の教科書について、扶桑社の 教科書が採択されることのないようにと、練馬区教育委員会に要請をしてきました。幸い練馬区では慎重な審議の結果、扶桑社の教科書はどの委員からも候補に も上がりませんでした。そうした経緯から、お隣の区である杉並区で歴史教科書が採択されたことに、強い憤りと疑問を感じ、抗議・撤回・やり直しを求める文 書をメールする次第です。

杉並区民でもある私たちのメンバーの一人が、8月12日の教育委員会を傍聴し、審議の模様をつぶさに報告してもらいました。それによると、驚くべきこと に、歴史教科書の代表著者である藤岡信勝氏が傍聴席に陣取り、監視していたということです。すでに前回の教育委員会での一委員の発言をとらえて、公開質問 状を出し、ビラで攻撃するという行動に出ていましたから、重ねての威圧的な行動で、とても許されるものではありません。しかも採択直後のマスコミインタ ビューでは、「教育委員会では非常に高いレベルで議論してもらい、戦争賛美の内容でないことが証明された」(東京新聞12日夕刊)と、臆面もないコメント を発表しています。

  「非常に高いレベルの議論」であったかどうかは、今後公開される議事録をつぶさに検討すれば明白になることですが、許し難いのは、「戦争賛美の内容でない ことが証明された」としていることです。これに関して当日の議論になった主な点は、「大東亜戦争」という呼称の問題、「多くの国民はよく働き、よく戦っ た」という表現の一面性の問題でした。前者は、今の基準で判断して当時の言葉を抹殺するのは「言葉刈り」だとして、「大東亜戦争」という表現を支持しまし た( O委員)。しかしこの表現は、当時の内閣情報局の説明でも「大東亜戦争と称するは、大東亜新秩序建設を目的と する戦争なることを意味するもの」としているように、あからさまに侵略戦争であることを表明した表現であり、この呼称に固執することは、この侵略戦争を肯 定的に伝えようとしていると言わざるをえません。(教科書204頁では、この呼称について次のように注をつけています。「戦後、アメリカ側がこの名称を禁 止したので太平洋戦争という用語が一般化した。」明らかに、アメリカに禁止されたのでやむなく使われなくなっているが、本来は「大東亜戦争」と呼ぶべきと いう著者の立場が背景に読み取れる表現ではないでしょうか。)

「多 くの国民はよく働き、よく戦った」という表現について、その一面性をつくA委員の指摘に対して、特攻隊基地知覧に2回行って感想を読んだ経験から、こう書 いているからといってそのままはとらない、これでどう教えるかが問題だとして、この一面的な表現を擁護した教育長の発言がありました。しかし、この表現を 含む段落全体は、「物的にもあらゆるものが不足し、寺の鐘など、金属という金属は戦争のため供出され、生活物資は窮乏をきわめた。しかし、このような困難 の中、多くの国民はよく働き、よく戦った。それは戦争の勝利を願っての行動であった。」と書いています。国民がこの戦争を是としていかによく戦ったかを印 象づけようとしていることは明らかではないでしょうか。

実 際、あの侵略戦争を肯定的にとらえ、美化しようとする表現は随所に見られます。204頁以降に限っても、次の通りです。「日本は米英に宣戦布告し、この戦 争は『自存自衛』のための戦争であると宣言した。」「対米英開戦をニュースで知った日本国民の多くは、その後、次々と伝えられる戦果に酔った。」「日本の 緒戦の勝利はめざましかった。」「日本の将兵は敢闘精神を発揮してよく戦った。」「アジアの人々を奮い立たせた日本の行動」「日本を解放軍としてむかえた インドネシアの人々」・・・。とても「戦争賛美の内容でない」などと主張できるものではありません。さらには、藤岡氏は、市販本のあとがきで「中国の李肇 星外相は、読みもせずに批判していた」「日本たたきの材料の一つにすぎない」「本書を読まれた読者は、外国の批判なるものが全く根拠のないものであること を了解されるでしょう。」と書いていますが、これほど厚顔無恥なことがよくもいえたものだと憤慨せざるをえません。

8月15日、日本政府は、「戦後60年 首相談話」を発表しました。その中では次のように言っています。「我 が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け 止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外すべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓 を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。」

この「首相談話」は、この歴史教科書の決定的な欠陥をついています。「植民地支配と侵略によって」与えた「多大の損害と苦痛」の「歴史の事実」について は、申し訳程度の記述はあるものの、何ら具体的に学ぶことができない教科書だからです。一例をあげると、植民地支配についてこの教科書では次のように書い ています。「朝鮮半島では、日中戦争開始後、日本式の姓名を名乗らせる創氏改名などが行われ、朝鮮人を日本人化する政策が強められていた。戦争末期には、 徴兵や徴用が、朝鮮や台湾にも適用され、現地の人々にさまざまな犠牲や苦しみをしいることになった。また多数の朝鮮人や中国人が、日本の鉱山などに連れて こられ、きびしい条件のもとで働かされた。」

これに対し、事実はどうか。朝鮮歴史学会の許宗浩会長の指摘をここに紹介します。(人民網日本語版8月15日より)「日本帝国主義が1905年、朝鮮政府 に「乙巳保護条約(第二次日韓協約)」の締結を強要してから、1945年8月に朝鮮半島が解放されるまでの40年におよぶ植民統治期間中、日本の植民者 は、朝鮮の青年・壮年778万4839人を強制労働や過酷な肉体労働に従事させ、朝鮮の青年41万7072人を強引に日本軍に徴用し、詐欺や強制により朝 鮮の女性20万人以上を日本軍の性的な奴隷「慰安婦」にし、罪のない朝鮮の民間人100万人余りを惨殺し、黄金400トン近く、鉄1798万トン、木材 3000万立方メートル、米3900万トンを略奪した。日本の植民者はさらに、いわゆる「皇民化運動」を進め、朝鮮人に朝鮮語の学習や使用を禁じ、日本語 に取って代わらせ、学校では朝鮮の歴史や地理の授業開設を許さなかった。」 

少し長い引用になりましたが、問題は、どう事実認識を共有するかです。現実は大きな落差があるわけで、教科書に求められるのは、いかに近づけるかという、 その姿勢が問われるわけです。歴史の事実についての認識・「記憶」で共通理解が進まなければ、「和解」の道は開けるはずもありません。

問題は、これだけにとどまりません。日本国民自身が被った被害の事実についての学習もきわめて不十分な教科書であることも様々に指摘されています。原爆のこと、空襲のこと、沖縄戦のこと等々。「東京大空襲が行われ、 一夜にして約10万人の市民が命を失った。」という記述ですが、「行われ」はないでしょう。朝日新聞8月14日社説は、「なぜ戦争を続けたか 戦後60年 を考える」と題して、「1年前には勝敗は決していた」「救えたはずの数百万の命」という指摘をしています。日本の軍人自身についても、その6割以上が飢死 や病死であったことが明らかになっています。(藤原彰著『餓死した英霊たち』参照)こうした事実をしっかり学習してこそ、二度と再び繰り返してはならない という決意につながるのではないでしょうか。

こうして見てくると、藤岡氏が言うように「非常に高いレベルの議論」をしたなどと言えるものではありません。心配なのは、実際にこの教科書を使って授業を するようになった場合のさまざまに予想される混乱です。教育委員長は、こうした事態も予想してか、「副教材」扱いすることをまとめで発言していました。な らば、あらためて審議のやり直しをして、5人の委員が一致して推せる教科書に採択のし直しをすべきではないでしょうか。教育委員長は、そうした方向での議 論を進めようとしましたが、中途半端なままに、「従来の決定方法」で決してしまいました。

いまさまざまな要請が、12日の採択決定以降も寄せられていると思います。藤岡氏らからは、教育委員長へも「公開質問状」が出されたと聞いています。こう したこと自体が今後の学校現場での混乱を予想させるものです。しかし、子どもたちを混乱に巻き込むことは絶対にさけなければなりません。ぜひとも、再検討 されることを強く要望する次第です。